保育園の歴史

赤沢保育園は明治23年に赤沢鍾美(あつとみ)が日本で初めて、幼児達を預かり保育を始めた歴史のある保育園です。
心も身体も劇的に変化成長し、成人の基礎が出来上がる時期が保育園の期間。
赤沢保育園は、身体の健康造りに次いで、見えにくい心の基礎造りに重点を置いた保育を心がけています。

園の概要

  • 名  称

    赤沢保育園

  • 経営主体

    社会福祉法人
    守孤扶独幼稚児保護会(しゅこふどくようちじほごかい)

  • 所在地

    〒951-8028 新潟県新潟市中央区東湊町通1-2547

  • 電  話

    025-222-5542

  • 設立・認可

    明治23年設立
    昭和23年1月1日(児童福祉法施設として)認可

  • 園  長

    小林恵

  • 職員構成

    保育士・調理員・非常勤職員

  • 施  設

    軽量鉄骨モルタル2階建て

  • 特別保育内容

    延長保育、緊急一時預かり、一時預かり(拠点園)、障がい児保育

  • クラス分

    ひよこ組(0,1歳児)

    こあら組(2歳児)

    うさぎ組(3歳児)

    ぱんだ組(4歳児)

    ぞ う組(5歳児)

    り す組(1~5歳児一時預り)

  • 情報公開

    資金収支計算書

    事業活動計算書

    貸借対照表

    役員等名簿

    詳しくはこちらから【ワムネット】にてご覧ください

園のあゆみ

  • 明治23年(1890)
    6月1日

    創立者 赤沢鍾美(あつとみ)、現中央区礎町4町目に小中学校過程を教える新潟静修学校を創立、同時に幼稚児保護事業も開始する。

  • 明治26年

    教室校舎を本町通り7番町通称八間小路に移転。

  • 明治36年

    東湊町通1-2948番地に教室園舎を新築移転。

  • 明治40年ころ

    教室園舎完成を機に保育部門を「守孤扶独幼稚児保護会」と命名
    幼児保育に本格的に取り組む姿勢を固める。

  • 大正8年7月

    東湊町1の87戸が焼失する大火発生、「赤沢」も被災全焼する。

  • 大正8年12月

    50m程東より1番地違いの2547番の現在地に新築移転。

  • 大正11年

    当時の宮内省(現宮内庁)より保育事業奨励の思召しによりご下賜金を賜る。
    以後毎年第二次大戦終結時まで頂戴する。

  • 昭和12年3月

    創立者赤沢鍾美死去。静修学校廃止。

  • 昭和20年(1945)8月

    第二次世界大戦終結。当時園児数は数名にまで減少。

  • 昭和23年1月

    保育所制度発足にともない保育所認可を受ける。

  • 昭和31年1月

    社会福祉法人資格取得

  • 昭和32年5月

    当時の岸内閣厚生大臣神田博氏、視察来園。

  • 昭和41年9月

    鉄骨モルタル2階建て園舎完成。

  • 昭和41年10 月

    鈴木善幸厚生大臣(岸内閣)視察のためご来園。

  • 平成2年(1990)9月

    創立100周年記念行事を実施。

  • 平成4年6月

    一時保育事業を新潟県第一号実施園として開始。

  • 平成4年8月

    カナダ人女性の協力で「英語遊び」の時間を開始。

  • 平成4年12月

    石井式漢字教育を取り入れる。

  • 平成5年12月

    宮内庁より保育事業奨励の思召しにより金一封を賜る。

  • 平成10年8月

    台湾・日本交流教育の研究発表会に幼児教育部門日本代表として参加、石井式教育成果を台湾基隆市会場で発表する。

  • 平成12年5月

    創立110周年を祝う会を実施。

  • 平成13年1月

    石井式漢字かるた第一回新潟県大会主催参加。

  • 平成22年6月

    創立120周年。

  • 令和3年6月

    創立130周年。

  • 令和3年4月

    新園舎竣工。

 まず読み方ですが、それぞれの漢字の一般的な読み方にしたがってお読み下さい。守はしゅ、孤はこ、扶はふ、独はどく、幼稚児はようちじ、保護会はそのままです。「しゅこふどくようちじほごかい」となります。
 そしてその意図するコンセプトは、守孤は保育環境に恵まれない孤独環境にある子どもを守り、扶独は事情により両親が力を合わせることが出来ない独り親を扶(たす)け、そのような状況の幼児の保護を目的とする会と解してください。