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赤沢保育園について(4月の園だよりより)

赤沢保育園について

卒園していく子どもたちと、新しく入園してくる子どもたちが重なるこの時期に、赤沢保育園について少しご紹介いたします。

今からさかのぼること135 年、現在の礎町付近に赤沢保育園は誕生しました。創設者である私の曽祖父・赤澤鍾美は、当初から保育園を作ろうとしていたわけではなく、当時貧しかった子どもたちに学びの場を提供したいという思いから私塾を始めたことが、その始まりでした。こうして新潟のしもまちに、日本で初めての保育園が生まれました。

湊町として栄えたこの地域には多くの働き手が集まり、日中子どもを預けたいという需要も高かったのでしょう。「赤沢さんのところで子どもを預かってもらえるらしい」という噂は瞬く間に広がり、多くの子どもたちが通うようになりました。

創立以来、これまでに一万人を超える子どもたちが卒園しています。親子四代にわたって通ってくださるご家庭や、かつての担任に憧れて保育士となり戻ってきた職員がいることは、全国的にも大変珍しいことではないかと思います。

また毎年この時期には、多くの卒園児が保育園を訪ねてきます。公立園のような転勤がないため、ここに来れば当時の先生に会えるという安心感は、人とのつながりが希薄になりつつある現代において、とても貴重なものだと感じています。

園舎について

現在の園舎は、令和3 年3 月に完成した6 代目の園舎です。旧園舎は昭和41 年に建設され、半世紀以上にわたり子どもたちを見守ってきました。

赤沢保育園は創立当初、礎町にありましたが、幾度かの火災により園舎を失っています。そのたびに地域の支えを受けて再建され、明治後期に現在の東湊町通へ移転しました。

狭い敷地に建つ園舎は、新潟大学の建築分野の研究対象にもなっており、現在も学生の見学が続いています。現園舎の設計にあたっては、現場の職員の意見を多く取り入れました。

中でも特徴的なのが、入口左手にある一時預かり保育(りす組)の部屋です。一段低くした「あなぐら」のような空間にすることで、保育園と家庭の中間のような落ち着いた雰囲気を生み出し、環境に慣れない子どもたちにも安心して過ごせる場となっています。

また2 階の広いバルコニーは、限られた敷地を補う役割として、プール遊びや野菜づくりなどに活用されています。

漢字教育について

「漢字教育」と聞くと特別な教育のように感じられるかもしれませんが、子どもにとっては漢字もひらがなも同じ「初めて出会うもの」です。

漢字は一見難しそうに見えますが、形に多くの情報が含まれているため、子どもにとってはかえって覚えやすい面もあります。

本園では、日常生活の中であえて漢字をひらがなにすることなく、自然な形で漢字に親しめる環境をつくっています。冬には恒例の漢字かるたやことわざかるたも行いますので、ご家庭でもぜひ一緒に楽しんでみてください。

英語遊び

赤沢保育園の英語遊びは、語学習得そのものよりも、異文化に触れることを目的としています。幼い頃から外国語や文化に親しむことで、将来の学びへの抵抗感を和らげることを大切にしています。

現在はアメリカ出身のケビン先生によるレッスンを、毎週火曜日に年中・年長クラスで交互に行っています。

体育遊び

カワイ体操教室の指導員による運動遊びに加え、体育を専門に学んだ保育士による保育を通して、日常的に体力づくりを行っています。

また、昨年より新潟大学の村山研究室の協力のもと体力測定も実施し、子どもたちの健やかな成長を支えています。限られた環境の中でも、運動不足にならないよう工夫を重ねています。

はだし保育

園内では年間を通して、はだしで過ごす「はだし保育」を取り入れています。はだしで過ごすことで大脳への刺激や五感の発達が期待されます。

冬でも快適に過ごせるよう、保育室や廊下には無垢材を使用しています。

これらの特色ある保育は、長い歴史の中で子どもたちと向き合いながら育まれてきたものです。行事の一つひとつにも、職員の思いや工夫がたくさん込められています。

これからも赤沢保育園をどうぞよろしくお願いいたします。

「少子化問題」を考える

保育園で日々子どもたちや保護者の皆さんの姿を見ていると、「少子化問題」はどこか遠い世界の出来事のように感じられます。しかし、厚生労働省が先日発表した日本の出生数は約70万人と、過去最少を更新し続けています(前年比1.5万人減)。では、他の国ではどうなのでしょうか。長年低下傾向にあった合計特殊出生率は、2021年を境にフランスやアメリカなどの欧米諸国で、緩やかな回復の兆しを見せています。一方、日本や韓国はその流れに乗れていません。

その理由の一つとして指摘されているのが「ジェンダー格差」です。男女の不平等が小さい国ほど出生率が改善した、という報告もあります。男女の社会的格差を示す「ジェンダーギャップ指数」を見ると、日本は世界118位でG7最下位。格差が解消されるまでに、およそ123年かかる見通しだとされています。

指数上位国であるアイスランド、フィンランド、ノルウェーといった北欧では、男性が家事・育児に費やす時間は全体の約4割ですが、日本はいまだ2割程度にとどまっています。男性の育児休暇取得は増えてきているものの、女性の負担は依然として大きいのが現状です。

少子化のもう一つの大きな要因に「未婚化」があります。50歳時点で結婚経験のない人の割合は年々上昇し、6年前のデータでは男性の3割、女性の2割が未婚でした。このまま推移すると、2030年には男性の3人に1人が生涯未婚になるという予測もあります。

背景にはさまざまな社会的要因がありますが、それ以上に、結婚や子育てに前向きなイメージを持てる社会づくりが大切なのではないでしょうか。

ふと、私が子どもの頃に放映されていた『大草原の小さな家』を思い出しました。アメリカ西部開拓時代を生きる家族の物語には、決して楽ではない暮らしの中にも、家族で支え合う温かさが描かれていました。

制度や仕組みの整備はもちろん必要ですが、それと同時に、人々の心にそっと灯りをともすような夢や希望も、少子化を考えるうえで大切なのかもしれません。

 

*合計特殊出生率:15〜49歳の女性が、その年の出生率が一生続くと仮定した場合に産む子どもの数

漢字かるたと悔し涙

先日、三条で開催された漢字かるた大会は、あいにくの大雪となりました。しかし、会場の中は、かるたに挑戦する子どもたちと見守る保護者、そして運営に携わる各園の先生方の熱気に包まれていました。今年で22回目を迎えた本大会ですが、コロナ禍の影響で開催できない年もあり、私にとっては 2 回目のかるた大会となりました。

漢字かるた大会は、私の父が前園長を務めていた時代から熱心に取り組んでいた保育園行事の一つです。私が園に来る前から、その魅力や思い入れをよく聞かされてきました。そして実際に大会を目の当たりにし、父の情熱を改めて理解することができました。

漢字かるたには 2 種類あり、俳句と諺が絵札ではなく文字だけの札で示されています。大人の目線では難しそうに感じますが、実際には「難しい」というのは大人が作り上げた先入観に過ぎません。子どもたちにとっては、漢字が並ぶ札も、絵が描かれた札も、特別な違いはないようです。

いよいよ競技が始まると、悔しさから勝負が終わる前からすすり泣く声が聞こえてきます。それでも先生や友だちに励まされ、気持ちを切り替えて札を取りに向かう子どもたちの姿は心を打ちます。勝って喜ぶ子、負けて涙する子。勝負の厳しさに触れ、悔しさや後悔を乗り越えることで、子どもたちは少しずつ大人へと成長していくのだと思います。

漢字かるた大会では、たくさんの小さなドラマが繰り広げられます。来年も、ぜひご家族みんなで力を合わせて『漢字かるた大会』に挑戦していただきたいと願っています。

過干渉と過保護

先日、大学の先生とお話をしていた際、「親から『校外学習はクマが出るから危険だ』と連絡があり、授業が中止になった」という出来事を伺いました。最近は熊のニュースも多いので「また熊か…」と思いつつも、大学生になっても親がここまで関わるのかと驚かされました。

とはいえ、私自身も胸を張って「過干渉ではなかった」と言い切れるかというと、そうでもありません。息子が高校生の頃、バイト代が未払いだと知って、思わずお店に苦情の電話をしたことがありました。振り返ると、親が子どもに過干渉にならずにいることは、思っている以上に難しいものだと感じます。

過干渉とは「必要以上に関わり、一般的な限度を超えて干渉すること」。子育ての場面では、親の希望や価値観を、子どもの気持ちや人格を十分に考えずに押し付けてしまうことを指します。

親としては「しっかり見守っているつもり」でも、度が過ぎると、子どもは自分で考えたり行動したりする力が弱まってしまいます。右の過干渉のチェックリストを使い、各ご家庭で、時々振り返ってみるのも良いかもしれません。

一方で、よく混同されるのが「過保護」です。

過保護とは、子どもの望みを満たしてあげることですが、望みが「物」ではなく 「一緒に遊びたい」「一緒に出かけたい」といった“気持ち”に関わるものであれば、親ができる範囲で応えてあげることは、むしろ子どもの自立心を育てます。親が守るべきなのは、物を与えることではなく「心を守ること」になります。

1年の締めくくりに、日々の子どもとの関わり方を少し振り返ってみるのも良い機会かもしれません。完璧な親である必要はありませんが、子どもの成長を信じ、必要なときにそっと背中を押せる存在でありたいですね。

クリスマスプレゼント今昔

そろそろ世界中のサンタたちが、子どもたちへのクリスマスプレゼント選びに頭を悩ませる季節になってきました。準備の早いサンタはすでに購入や予約を済ませ、あるいは子どもたちからのリクエストを受け付けている頃かもしれません。

日本におけるクリスマスプレゼントは、明治時代にキリスト教系の福祉団体が貧しい家庭へ贈り物を届けた慈善活動から始まり、次第に一般家庭へと広がっていったといわれています。時代とともに「特別な日を彩る習慣」として定着し、今では子どもたちにとって一年で最も楽しみなイベントのひとつになりました。

では、昭和の時代にはどんなプレゼントが主流だったのでしょうか。戦前はサンタクロースの人形やチョコレート、レターセットなどの文房具、タイプライターのおもちゃなどが人気でした。戦後のベビーブーム世代には、サンタのブーツ型容器に詰められたお菓子が定番となり、やがてミニカーやリカちゃん人形などのおもちゃが中心に。1980年代に入ると、ゲームウォッチやファミリーコンピューターといった電子玩具が子どもたちの憧れとなりました。

平成になると、ポケットモンスターの登場で関連グッズが大人気に。たまごっちや遊戯王カードなどのブームもあり、家庭用ゲーム機はファミコンからプレイステーション、ニンテンドー64へと進化を遂げました。この中に保護者の皆さんが子どもの頃にサンタからもらった懐かしのプレゼントはありましたでしょうか。

令和の今は、ゲーム機はもちろん、プログラミングロボットやレゴエデュケーションなど、先端技術を取り入れた知育玩具も登場しています。一方で、ポケモンやすみっコぐらし、プリキュアなどのキャラクターグッズも根強い人気があります。さらに最近では、テーマパークチケットなど「体験型のプレゼント」も注目を集めています。モノだけでなく「家族で過ごす時間」そのものが贈り物になる時代ともいえるでしょう。

さて、気になる予算ですが、子どもへのクリスマスプレゼントは3,000~5,000円が最も多く、次いで5,000~10,000円という調査結果があるようです。子どもが複数いるご家庭では、なかなか大きな出費になることもあります。とはいえ、金額の大小が喜びに直結するわけではありません。日頃の会話や様子から子どもの願いを見つけ、クリスマスらしい演出とともに贈ることで、心に残る素敵な思い出になるのではないでしょうか。

ところで「サンタはいつまで信じているの?」という話題も気になるところです。一般的には小学校低学年頃までが多いといわれますが、兄姉や友達からの情報で現実を知る子もいれば、家族との楽しい時間を続けたいと「信じているふり」をする子もいます。サンタからの手紙や、食べかけのクッキーを残すなどの小さな演出は、子どもにとって大きな喜びとなり、夢を育む時間にもなります。真実を隠すことが目的ではなく、親子で楽しむ遊び心として取り入れるのが自然でしょう。

時代が変わっても、子どもたちの笑顔と、家族の温かいひとときが一番の贈り物になるはずです。

「あいさつ」がつなぐ心

一日は、朝の「おはようございます」というあいさつで始まり、夜の「おつかれ
さまです」や「さようなら」で終わります。みなさんは、一日に何回あいさつを交
わしているでしょうか?ご近所の方、保育園の先生や保護者、職場の人や
お客さまなど、あいさつは日々の暮らしに欠かせないものだと思います。

何気なく交わしているあいさつでも、その返答から「今日は元気がないな」と
相手の様子に気づくことがありますし、逆に明るく元気なあいさつを受けること
で、少しぎくしゃくしていた関係がふと和らいだり、会話のきっかけになったりもし
ます。あいさつは、私たちの日常において、実に便利で柔らかなコミュニケーシ
ョンツールなのです。

ところで、みなさんは見知らぬ人にもあいさつをしますか?また、どこまでの
範囲であいさつをするべきか、迷ったことはありませんか?子どもたちには、あい
さつの習慣を小さいうちから身につけてほしいと思う一方で、防犯の観点から
「知らない人とは話さないように」と教えるべきなのか、悩ましいところです。もし、子どもが見知らぬ人とあいさつを交わしたことで、思わぬ事件に巻き込まれて
しまったら……そう考えると、軽々しくは言えません。

また逆に、大人が子どもにあいさつをしただけで、不審者と誤解されて逃げ
られたり、防犯ベルを鳴らされたりという話を聞くと、なんともやるせない気持ち
になります。そんな世の中になってしまったのかと、思わずため息が出てしまい
ます。

そもそも「あいさつ(挨拶)」という言葉の語源は、禅宗の「一挨一拶」に
由来します。挨には「心を開く」、拶には「心に近づく」という意味があり、禅寺
では師が修行僧に問答を通して修行の深さを見極めることを「一挨一拶」と
呼んだそうです。

朝の第一声「おはようございます」で、その日が少しでも晴れやかに、気持
ちよく始められるなら、あいさつほど簡単で効果的な方法はありません。地域
や状況によって、あいさつを交わす相手の範囲は異なると思いますが、その場
に応じて大人が手本を示すことは、子どもにとって大切な学びになります。他
者との関わりや物事の善し悪しを判断する力を育むうえでも、あいさつは欠か
せない礼儀であり、社会性を育てる大切なコミュニケーションの一つなのです。
あいさつは、子どもたちが社会とつながる最初の一歩。大人の姿を通して、
心のこもったひとことの大切さを、日々の中で伝えていけたらと思います。

“8時10分前”は何時何分?

異常な暑さもようやく過ぎ去り、日中もずいぶん過ごしやすくなりました。行楽シーズン到来、保育園でも今週末は芋ほり遠足、来週は運動会と行事が目白押しです。

イベントが増えると待ち合わせの機会も増えます。「じゃあ8時10分前に〇〇に集合ね。」今まで何の疑いもなく使ってきたこの8時10分前、という表現。ところが最近「7:50」と受け取る人と「8:09」と受け取る人がいる、この事実を知ってとても驚きました。

素直に読むなら確かに8:10の前で8時9分と解釈もできるのですが、この表現を使うであろう場面を考えると「8:00」の10分前、と自然に受け取るのは私が昭和世代だからでしょうか。

おぼろげな記憶をたどると、この〇時○分前という時刻の表現は小学校の低学年頃に授業で習ったはず・・・と思って調べると、やはり今も小学校2学年で習う内容で間違いないことが分かりました。

今では時刻を時計の針の位置で読むよりもデジタル表示で見る機会が圧倒的に増えました。少なくともこのような時代の流れ、環境の変化が8時10分前を8時9分と捉える人を増やした、と言っても過言ではないと思います。

ただ学校の授業で習うことは誰もが共通の認識を持つための社会のルールでもあるのです。学校で習ったことが浸透していない事実も問題ですが、誤った解釈をも多様性といったような言葉で「それもありだ」と認めてしまう、間違いを指摘しにくい世の中になっているという点です。本人に良かれと思って言ったこともハラスメントと言われかねない。それが面倒でつい黙ってしまう、なんとも残念な世の中になってしまったと感じるのは私だけでしょうか。

ちなみに、この表現は英語ではten to eightと言い、ドイツ語やスペイン語、ポルトガル語や中国語など他の言語でも広く存在します。ではこれら言語の国で日本と同じような解釈の違いが生じているか?というと今のところ起きていないようです。文法的にも誤解が生じにくいのだと思いますが、ある一時点を軸にその前後で時間を表現するという感覚は決して日本固有のものではない、ということです。

これから時間の約束をする際は、〇時10分前という表現だと誤解が生じる可能性がある、という認識を持っていくより他にないのでしょうか。

フィンランドの高い英語力

先日、北欧の国々を訪れる機会がありました。中でも強く印象に残った出来事があります。ヘルシンキの飲食店で、小学校低学年くらいの女の子と年長くらいの男の子、そしてお母さんの三人連れと隣り合わせのテーブルになった時のことです。じっとしていられない子どもたちと、それをたしなめるお母さん。会話は英語だったので、私はてっきり英語圏から来た旅行客だと思っていました。ところがしばらくすると、今度は当たり前のように英語ではない別の言葉で会話を始めたのです。もしかするとその親子は特別な環境にいたのかもしれません。しかし旅行中ずっと感じていたのは、北欧のどの国でも、どの世代の方々も(ご年配の方でさえ)母国語とは別に自然に英語を話せる、ということでした。

特にフィンランド語は日本語同様、英語とは全く系統の異なる言語です。それにもかかわらず、英語がこれほど国民に浸透しているのはなぜか。調べてみると、フィンランドでは小学校1年から英語が必修となり、専門教員による歌やゲームを取り入れた授業や、文法指導も早い段階から行われているそうです。また映画やテレビは吹き替えではなく字幕で放送されるため、子どもたちは小さな頃から耳に英語が入りやすい環境にあります。その結果、学校教育を通して高い英語力を身につけることができるのです。ただし、かつてのフィンランドは英語を話せる人はそれほど多くなかったそうです。1980年代に英語教育に力を入れ始めて以降、国民の英語力は飛躍的に伸びたといわれています。

 

一方、日本の英語教育はいまだに試験の成績を重視する傾向が強く、また生真面目な国民性も相まって「正しく話さなくては」という意識が先に立ちます。そのため、実際に声に出して使う機会が少なく、学んだ知識を実生活で活かしにくい現状があります。

では、AIが発達した今、英語力は将来的に不要になるのでは?と考える方もいるかもしれません。かつてドラえもんがポケットから出してくれた「翻訳こんにゃく」も、今ではそれほど非現実的なものではなくなってきました。しかし、技術がどれだけ進んでも、人と人とが向き合って交わすコミュニケーションの中心はやはり「会話」です。そして国や文化を超えて人々が交流する際に使われる共通言語は、やはり英語であることが多いでしょう。

赤沢保育園でも2週間に一度、年中・年長の子どもたちに英語に親しんでもらうための「英語遊び」の時間を設けています。ただし、これだけで子どもが英語を話せるようになるとは思っていません。大切なのは「学ぶこと」ではなく「遊び」を通して英語に出会うことです。ケビン先生と歌やゲームを楽しみながら「日本語ではない言葉がある」「その言葉で他の国の人と通じると楽しい」という体験を重ねること。それが将来、本格的に学び始めるときの意欲や土台につながっていけばと願っています。

からだにしみこむ、夏野菜のちから

梅雨が明け、連日強烈な暑さが続いています。暑さに体力を奪われやすいこの季節、大人も子どもも食欲や元気が少し落ちてくる時期かもしれません。そんなときこそ頼りになるのが、旬の夏野菜です。

新潟の夏といえば、やっぱり枝豆。ふっくらとしたさやの中には、たんぱく質やビタミン(B1、B2、C)、ミネラル(カリウム、マグネシウム、鉄)、食物繊維など、子どもたちの体づくりに欠かせない栄養がぎゅっと詰まっています。塩ゆでしただけでも立派なおやつになりますが、冷製ポタージュ、炊き立てご飯に混ぜ込んだ枝豆ごはん、旬のとうもろこしと一緒にかき揚げにしてそうめんに添えるなど、アレンジも楽しめます。甘みの強い新潟の枝豆は、近年全国的にもファンが増えているそうです。

トマトの赤い色のもとになっているリコピンは、紫外線から体を守る働きがあるといわれています。抗酸化作用が高く、生活習慣病の予防や老化の抑制にも効果があり、加熱することで吸収率がアップするのも特徴です。さらに、クエン酸による夏バテ防止の効果も期待できます。トマトをさいの目に切り、塩・こしょう・すりおろしにんにく・バジルを加えてオリーブオイルで和えた“トマトソース”は、冷蔵庫で3〜5日ほど保存でき、バゲットやパスタ、冷ややっこ、豚しゃぶなど、いろいろな料理に使えて便利です。

きゅうりやなすも、体の中の熱を冷ましてくれる“涼”の野菜として、昔から親しまれてきました。採れたての野菜は香りもよく、火を通さずにおいしく食べられるのも夏ならではの魅力です。冷やしトマト、なすの浅漬け、きゅうりに味噌をつけてかじる――そんな昔ながらの味が、暑さで疲れた体にしみわたります。調理の際に火を使わずに済むという点でも、夏の台所にはうれしい存在です。

夏を代表する野菜は他にも、ピーマン、かぼちゃ、ゴーヤ、とうもろこし、ズッキーニなどさまざま。夏野菜をたっぷり使ったラタトゥイユや夏野菜カレーなどを作り置きしておけば、調理時間の短縮にもつながります。

保育園の給食にも子どもたちがベランダで育てた夏野菜が添えられていることがあります。自分たちの手で育てた野菜を「おいしい!」と食べる経験は、食べることへの関心や喜びにもつながります。旬の力をおいしく、たのしく日々の食卓に取り入れながら、子どもや家族の体をやさしく支えていきたいですね。

『叱り』を正しく理解する

最近、子どもを叱ったことはありますか?子どもが嘘をついたとき、危険な行為をしたとき、または他人を傷つけるような場面では、叱ることがあるでしょう。しかし、「叱る」という行為にはネガティブなイメージが強く、できることなら避けたいと考えてしまうかもしれません。叱ることで子どもから嫌われたくない、子どもを泣かせたり悲しませたりしたくない――そうした感情から、叱るのをためらう場面もあるでしょう。

では、「叱る」という行為の出発点はどこにあるのでしょうか?叱る側、つまり多くは大人が、その子どもの行動やその背景にある考え方に対して反対する気持ちを抱いたとき、「叱る」という行為が生じるのだと思います。ただし、叱る側が思い通りにならないことへの憤りや苛立ちをぶつけてしまうと、本来子どものための行為である「叱る」ことが、大きく逸れて「怒り」となってしまいます。「叱る」という行為は叱る側の感情と密接に関わっているため、自らの感情をコントロールすることが重要です。「叱る」とは、子どもを大切に思う気持ち、すなわち「愛情」を土台とする行為です。だからこそ、叱る側には目的を見失わず、冷静でいることが求められます。

ところで、「叱る」という漢字は「口」に「七」と書きます。これは、叱る側が何度も繰り返し「やってはいけないこと」を説き、子どもが自ら善悪を判断して行動する力を身につけることに通じるものではないでしょうか。叱られた子どもは、「できなかった自分」「悪いことをした自分」と向き合わなければなりません。悔しさや悲しみから涙が出ることもあるでしょうし、感情の行き場を失うこともあります。そのため、なるべく早く気持ちを切り替えられるような配慮も必要です。繰り返される「叱り」の中で、子どもはなぜ叱られたのか、どのような行動が叱られるのかを自ら考え、判断する力を育んでいきます。その際、大切なのは「じっくり長時間叱る」のではなく、「何度も繰り返し、あっさりと叱る」ことです。

叱ることで行動が改善されるのは、叱りの意図が子どもに伝わり、子どもが反省した証です。「自分を顧みて、自分を変える」ことの難しさは、大人のほうがよく知っているでしょう。それを成し遂げた子どもを大いに褒めて認めること――それもまた、叱りの一連の流れとして重要です。

「叱る」ことは決して簡単なことではありません。しかし、人が成長していくうえで、なくてはならないものでもあります。大人になって、子どもの頃によく叱ってくれた人のことを思い出すとすれば、それはその「叱り」の根底に、紛れもなく「愛情」があったからではないでしょうか。

参考書籍:新任1年目の子どもが信頼する叱り方ができる本 中嶋郁雄 (著)