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過干渉と過保護

先日、大学の先生とお話をしていた際、「親から『校外学習はクマが出るから危険だ』と連絡があり、授業が中止になった」という出来事を伺いました。最近は熊のニュースも多いので「また熊か…」と思いつつも、大学生になっても親がここまで関わるのかと驚かされました。

とはいえ、私自身も胸を張って「過干渉ではなかった」と言い切れるかというと、そうでもありません。息子が高校生の頃、バイト代が未払いだと知って、思わずお店に苦情の電話をしたことがありました。振り返ると、親が子どもに過干渉にならずにいることは、思っている以上に難しいものだと感じます。

過干渉とは「必要以上に関わり、一般的な限度を超えて干渉すること」。子育ての場面では、親の希望や価値観を、子どもの気持ちや人格を十分に考えずに押し付けてしまうことを指します。

親としては「しっかり見守っているつもり」でも、度が過ぎると、子どもは自分で考えたり行動したりする力が弱まってしまいます。右の過干渉のチェックリストを使い、各ご家庭で、時々振り返ってみるのも良いかもしれません。

一方で、よく混同されるのが「過保護」です。

過保護とは、子どもの望みを満たしてあげることですが、望みが「物」ではなく 「一緒に遊びたい」「一緒に出かけたい」といった“気持ち”に関わるものであれば、親ができる範囲で応えてあげることは、むしろ子どもの自立心を育てます。親が守るべきなのは、物を与えることではなく「心を守ること」になります。

1年の締めくくりに、日々の子どもとの関わり方を少し振り返ってみるのも良い機会かもしれません。完璧な親である必要はありませんが、子どもの成長を信じ、必要なときにそっと背中を押せる存在でありたいですね。

クリスマスプレゼント今昔

そろそろ世界中のサンタたちが、子どもたちへのクリスマスプレゼント選びに頭を悩ませる季節になってきました。準備の早いサンタはすでに購入や予約を済ませ、あるいは子どもたちからのリクエストを受け付けている頃かもしれません。

日本におけるクリスマスプレゼントは、明治時代にキリスト教系の福祉団体が貧しい家庭へ贈り物を届けた慈善活動から始まり、次第に一般家庭へと広がっていったといわれています。時代とともに「特別な日を彩る習慣」として定着し、今では子どもたちにとって一年で最も楽しみなイベントのひとつになりました。

では、昭和の時代にはどんなプレゼントが主流だったのでしょうか。戦前はサンタクロースの人形やチョコレート、レターセットなどの文房具、タイプライターのおもちゃなどが人気でした。戦後のベビーブーム世代には、サンタのブーツ型容器に詰められたお菓子が定番となり、やがてミニカーやリカちゃん人形などのおもちゃが中心に。1980年代に入ると、ゲームウォッチやファミリーコンピューターといった電子玩具が子どもたちの憧れとなりました。

平成になると、ポケットモンスターの登場で関連グッズが大人気に。たまごっちや遊戯王カードなどのブームもあり、家庭用ゲーム機はファミコンからプレイステーション、ニンテンドー64へと進化を遂げました。この中に保護者の皆さんが子どもの頃にサンタからもらった懐かしのプレゼントはありましたでしょうか。

令和の今は、ゲーム機はもちろん、プログラミングロボットやレゴエデュケーションなど、先端技術を取り入れた知育玩具も登場しています。一方で、ポケモンやすみっコぐらし、プリキュアなどのキャラクターグッズも根強い人気があります。さらに最近では、テーマパークチケットなど「体験型のプレゼント」も注目を集めています。モノだけでなく「家族で過ごす時間」そのものが贈り物になる時代ともいえるでしょう。

さて、気になる予算ですが、子どもへのクリスマスプレゼントは3,000~5,000円が最も多く、次いで5,000~10,000円という調査結果があるようです。子どもが複数いるご家庭では、なかなか大きな出費になることもあります。とはいえ、金額の大小が喜びに直結するわけではありません。日頃の会話や様子から子どもの願いを見つけ、クリスマスらしい演出とともに贈ることで、心に残る素敵な思い出になるのではないでしょうか。

ところで「サンタはいつまで信じているの?」という話題も気になるところです。一般的には小学校低学年頃までが多いといわれますが、兄姉や友達からの情報で現実を知る子もいれば、家族との楽しい時間を続けたいと「信じているふり」をする子もいます。サンタからの手紙や、食べかけのクッキーを残すなどの小さな演出は、子どもにとって大きな喜びとなり、夢を育む時間にもなります。真実を隠すことが目的ではなく、親子で楽しむ遊び心として取り入れるのが自然でしょう。

時代が変わっても、子どもたちの笑顔と、家族の温かいひとときが一番の贈り物になるはずです。

「あいさつ」がつなぐ心

一日は、朝の「おはようございます」というあいさつで始まり、夜の「おつかれ
さまです」や「さようなら」で終わります。みなさんは、一日に何回あいさつを交
わしているでしょうか?ご近所の方、保育園の先生や保護者、職場の人や
お客さまなど、あいさつは日々の暮らしに欠かせないものだと思います。

何気なく交わしているあいさつでも、その返答から「今日は元気がないな」と
相手の様子に気づくことがありますし、逆に明るく元気なあいさつを受けること
で、少しぎくしゃくしていた関係がふと和らいだり、会話のきっかけになったりもし
ます。あいさつは、私たちの日常において、実に便利で柔らかなコミュニケーシ
ョンツールなのです。

ところで、みなさんは見知らぬ人にもあいさつをしますか?また、どこまでの
範囲であいさつをするべきか、迷ったことはありませんか?子どもたちには、あい
さつの習慣を小さいうちから身につけてほしいと思う一方で、防犯の観点から
「知らない人とは話さないように」と教えるべきなのか、悩ましいところです。もし、子どもが見知らぬ人とあいさつを交わしたことで、思わぬ事件に巻き込まれて
しまったら……そう考えると、軽々しくは言えません。

また逆に、大人が子どもにあいさつをしただけで、不審者と誤解されて逃げ
られたり、防犯ベルを鳴らされたりという話を聞くと、なんともやるせない気持ち
になります。そんな世の中になってしまったのかと、思わずため息が出てしまい
ます。

そもそも「あいさつ(挨拶)」という言葉の語源は、禅宗の「一挨一拶」に
由来します。挨には「心を開く」、拶には「心に近づく」という意味があり、禅寺
では師が修行僧に問答を通して修行の深さを見極めることを「一挨一拶」と
呼んだそうです。

朝の第一声「おはようございます」で、その日が少しでも晴れやかに、気持
ちよく始められるなら、あいさつほど簡単で効果的な方法はありません。地域
や状況によって、あいさつを交わす相手の範囲は異なると思いますが、その場
に応じて大人が手本を示すことは、子どもにとって大切な学びになります。他
者との関わりや物事の善し悪しを判断する力を育むうえでも、あいさつは欠か
せない礼儀であり、社会性を育てる大切なコミュニケーションの一つなのです。
あいさつは、子どもたちが社会とつながる最初の一歩。大人の姿を通して、
心のこもったひとことの大切さを、日々の中で伝えていけたらと思います。

“8時10分前”は何時何分?

異常な暑さもようやく過ぎ去り、日中もずいぶん過ごしやすくなりました。行楽シーズン到来、保育園でも今週末は芋ほり遠足、来週は運動会と行事が目白押しです。

イベントが増えると待ち合わせの機会も増えます。「じゃあ8時10分前に〇〇に集合ね。」今まで何の疑いもなく使ってきたこの8時10分前、という表現。ところが最近「7:50」と受け取る人と「8:09」と受け取る人がいる、この事実を知ってとても驚きました。

素直に読むなら確かに8:10の前で8時9分と解釈もできるのですが、この表現を使うであろう場面を考えると「8:00」の10分前、と自然に受け取るのは私が昭和世代だからでしょうか。

おぼろげな記憶をたどると、この〇時○分前という時刻の表現は小学校の低学年頃に授業で習ったはず・・・と思って調べると、やはり今も小学校2学年で習う内容で間違いないことが分かりました。

今では時刻を時計の針の位置で読むよりもデジタル表示で見る機会が圧倒的に増えました。少なくともこのような時代の流れ、環境の変化が8時10分前を8時9分と捉える人を増やした、と言っても過言ではないと思います。

ただ学校の授業で習うことは誰もが共通の認識を持つための社会のルールでもあるのです。学校で習ったことが浸透していない事実も問題ですが、誤った解釈をも多様性といったような言葉で「それもありだ」と認めてしまう、間違いを指摘しにくい世の中になっているという点です。本人に良かれと思って言ったこともハラスメントと言われかねない。それが面倒でつい黙ってしまう、なんとも残念な世の中になってしまったと感じるのは私だけでしょうか。

ちなみに、この表現は英語ではten to eightと言い、ドイツ語やスペイン語、ポルトガル語や中国語など他の言語でも広く存在します。ではこれら言語の国で日本と同じような解釈の違いが生じているか?というと今のところ起きていないようです。文法的にも誤解が生じにくいのだと思いますが、ある一時点を軸にその前後で時間を表現するという感覚は決して日本固有のものではない、ということです。

これから時間の約束をする際は、〇時10分前という表現だと誤解が生じる可能性がある、という認識を持っていくより他にないのでしょうか。

フィンランドの高い英語力

先日、北欧の国々を訪れる機会がありました。中でも強く印象に残った出来事があります。ヘルシンキの飲食店で、小学校低学年くらいの女の子と年長くらいの男の子、そしてお母さんの三人連れと隣り合わせのテーブルになった時のことです。じっとしていられない子どもたちと、それをたしなめるお母さん。会話は英語だったので、私はてっきり英語圏から来た旅行客だと思っていました。ところがしばらくすると、今度は当たり前のように英語ではない別の言葉で会話を始めたのです。もしかするとその親子は特別な環境にいたのかもしれません。しかし旅行中ずっと感じていたのは、北欧のどの国でも、どの世代の方々も(ご年配の方でさえ)母国語とは別に自然に英語を話せる、ということでした。

特にフィンランド語は日本語同様、英語とは全く系統の異なる言語です。それにもかかわらず、英語がこれほど国民に浸透しているのはなぜか。調べてみると、フィンランドでは小学校1年から英語が必修となり、専門教員による歌やゲームを取り入れた授業や、文法指導も早い段階から行われているそうです。また映画やテレビは吹き替えではなく字幕で放送されるため、子どもたちは小さな頃から耳に英語が入りやすい環境にあります。その結果、学校教育を通して高い英語力を身につけることができるのです。ただし、かつてのフィンランドは英語を話せる人はそれほど多くなかったそうです。1980年代に英語教育に力を入れ始めて以降、国民の英語力は飛躍的に伸びたといわれています。

 

一方、日本の英語教育はいまだに試験の成績を重視する傾向が強く、また生真面目な国民性も相まって「正しく話さなくては」という意識が先に立ちます。そのため、実際に声に出して使う機会が少なく、学んだ知識を実生活で活かしにくい現状があります。

では、AIが発達した今、英語力は将来的に不要になるのでは?と考える方もいるかもしれません。かつてドラえもんがポケットから出してくれた「翻訳こんにゃく」も、今ではそれほど非現実的なものではなくなってきました。しかし、技術がどれだけ進んでも、人と人とが向き合って交わすコミュニケーションの中心はやはり「会話」です。そして国や文化を超えて人々が交流する際に使われる共通言語は、やはり英語であることが多いでしょう。

赤沢保育園でも2週間に一度、年中・年長の子どもたちに英語に親しんでもらうための「英語遊び」の時間を設けています。ただし、これだけで子どもが英語を話せるようになるとは思っていません。大切なのは「学ぶこと」ではなく「遊び」を通して英語に出会うことです。ケビン先生と歌やゲームを楽しみながら「日本語ではない言葉がある」「その言葉で他の国の人と通じると楽しい」という体験を重ねること。それが将来、本格的に学び始めるときの意欲や土台につながっていけばと願っています。

からだにしみこむ、夏野菜のちから

梅雨が明け、連日強烈な暑さが続いています。暑さに体力を奪われやすいこの季節、大人も子どもも食欲や元気が少し落ちてくる時期かもしれません。そんなときこそ頼りになるのが、旬の夏野菜です。

新潟の夏といえば、やっぱり枝豆。ふっくらとしたさやの中には、たんぱく質やビタミン(B1、B2、C)、ミネラル(カリウム、マグネシウム、鉄)、食物繊維など、子どもたちの体づくりに欠かせない栄養がぎゅっと詰まっています。塩ゆでしただけでも立派なおやつになりますが、冷製ポタージュ、炊き立てご飯に混ぜ込んだ枝豆ごはん、旬のとうもろこしと一緒にかき揚げにしてそうめんに添えるなど、アレンジも楽しめます。甘みの強い新潟の枝豆は、近年全国的にもファンが増えているそうです。

トマトの赤い色のもとになっているリコピンは、紫外線から体を守る働きがあるといわれています。抗酸化作用が高く、生活習慣病の予防や老化の抑制にも効果があり、加熱することで吸収率がアップするのも特徴です。さらに、クエン酸による夏バテ防止の効果も期待できます。トマトをさいの目に切り、塩・こしょう・すりおろしにんにく・バジルを加えてオリーブオイルで和えた“トマトソース”は、冷蔵庫で3〜5日ほど保存でき、バゲットやパスタ、冷ややっこ、豚しゃぶなど、いろいろな料理に使えて便利です。

きゅうりやなすも、体の中の熱を冷ましてくれる“涼”の野菜として、昔から親しまれてきました。採れたての野菜は香りもよく、火を通さずにおいしく食べられるのも夏ならではの魅力です。冷やしトマト、なすの浅漬け、きゅうりに味噌をつけてかじる――そんな昔ながらの味が、暑さで疲れた体にしみわたります。調理の際に火を使わずに済むという点でも、夏の台所にはうれしい存在です。

夏を代表する野菜は他にも、ピーマン、かぼちゃ、ゴーヤ、とうもろこし、ズッキーニなどさまざま。夏野菜をたっぷり使ったラタトゥイユや夏野菜カレーなどを作り置きしておけば、調理時間の短縮にもつながります。

保育園の給食にも子どもたちがベランダで育てた夏野菜が添えられていることがあります。自分たちの手で育てた野菜を「おいしい!」と食べる経験は、食べることへの関心や喜びにもつながります。旬の力をおいしく、たのしく日々の食卓に取り入れながら、子どもや家族の体をやさしく支えていきたいですね。

『叱り』を正しく理解する

最近、子どもを叱ったことはありますか?子どもが嘘をついたとき、危険な行為をしたとき、または他人を傷つけるような場面では、叱ることがあるでしょう。しかし、「叱る」という行為にはネガティブなイメージが強く、できることなら避けたいと考えてしまうかもしれません。叱ることで子どもから嫌われたくない、子どもを泣かせたり悲しませたりしたくない――そうした感情から、叱るのをためらう場面もあるでしょう。

では、「叱る」という行為の出発点はどこにあるのでしょうか?叱る側、つまり多くは大人が、その子どもの行動やその背景にある考え方に対して反対する気持ちを抱いたとき、「叱る」という行為が生じるのだと思います。ただし、叱る側が思い通りにならないことへの憤りや苛立ちをぶつけてしまうと、本来子どものための行為である「叱る」ことが、大きく逸れて「怒り」となってしまいます。「叱る」という行為は叱る側の感情と密接に関わっているため、自らの感情をコントロールすることが重要です。「叱る」とは、子どもを大切に思う気持ち、すなわち「愛情」を土台とする行為です。だからこそ、叱る側には目的を見失わず、冷静でいることが求められます。

ところで、「叱る」という漢字は「口」に「七」と書きます。これは、叱る側が何度も繰り返し「やってはいけないこと」を説き、子どもが自ら善悪を判断して行動する力を身につけることに通じるものではないでしょうか。叱られた子どもは、「できなかった自分」「悪いことをした自分」と向き合わなければなりません。悔しさや悲しみから涙が出ることもあるでしょうし、感情の行き場を失うこともあります。そのため、なるべく早く気持ちを切り替えられるような配慮も必要です。繰り返される「叱り」の中で、子どもはなぜ叱られたのか、どのような行動が叱られるのかを自ら考え、判断する力を育んでいきます。その際、大切なのは「じっくり長時間叱る」のではなく、「何度も繰り返し、あっさりと叱る」ことです。

叱ることで行動が改善されるのは、叱りの意図が子どもに伝わり、子どもが反省した証です。「自分を顧みて、自分を変える」ことの難しさは、大人のほうがよく知っているでしょう。それを成し遂げた子どもを大いに褒めて認めること――それもまた、叱りの一連の流れとして重要です。

「叱る」ことは決して簡単なことではありません。しかし、人が成長していくうえで、なくてはならないものでもあります。大人になって、子どもの頃によく叱ってくれた人のことを思い出すとすれば、それはその「叱り」の根底に、紛れもなく「愛情」があったからではないでしょうか。

参考書籍:新任1年目の子どもが信頼する叱り方ができる本 中嶋郁雄 (著)

親子でひと息、リラックスタイム

新年度が始まって一か月。新しいクラス、新しい先生、新しいお友だち。
子どもたちはたくさんの「初めて」に囲まれながら、一生懸命に毎日を過ごしています。
大人もまた、園生活や新しいリズムに慣れようと頑張っていることと思います。
少しずつ緊張がとけてくるこの時期、ふと疲れを感じたり、体調を崩しやすくなったりすることもあります。そんなときは、親子で一緒に、ちょっとだけ「リラックスタイム」を取ってみませんか?
たとえば、床にごろんと寝ころび、手足をバタバタさせて遊ぶ「ごろごろストレッチ」。大きく手を広げたり、体をゆっくり伸ばしたりするだけでも、体の緊張がほぐれます。
また、「お花のにおいをかぐように鼻からゆっくり吸って、ロウソクの火を吹き消すように口から吐く」という呼吸遊びもおすすめです。遊びながら自然と深呼吸でき、心も落ち着きます。
おうちの中で流す音楽も、リラックスを手伝ってくれます。川のせせらぎや小鳥の声、カフェミュージックなど、やさしい音に耳を傾ける時間をつくってみるのもいいですね。
新しい環境でたくさん頑張っている子どもたち、そして大人自身にも、少しの「ひと息」をプレゼントしてあげましょう。
がんばる日も、休む日も、どちらも大切にしながら、これからの季節を一緒に楽しんでいきたいですね。

甘いもの

みなさんは一日の中でどのくらい甘いものを口にしますか?また子どもにどのくらい甘いものを食べさせて(飲ませて)いますか?甘いものを摂取することによって引き起こされる弊害はたくさんあるようですが、かといって甘いものを食生活から完全に断ち切ることも不可能に近いことと思います。今回は日常の食生活でどのように、またどのくらいの目安で甘いものを食べたら良いのかを探ってみました。

まず私たちが普段よく口にする甘いものにどのくらいの砂糖が含まれているかをざっと調べてみました。

ヤクルト(10g)、アイスクリーム(30g)、マックシェイクMサイズ(70g)、ポカリスエット500ml(30g)、ビスコ1パック(14g)、あんぱん(20g)、フルグラ(6g)

意外なものに多くの砂糖が含まれていて少し驚いたものもありますが、総じて飲み物に大量のお砂糖が使われているようですね。調べてみて気づいたのですが食品の成分表を見てもお砂糖の量はぱっと見てもどこに記載されているのかわかにくいのですが、成分表に書かれている「炭水化物」=糖類+食物繊維、ということで、それが飲み物であれば炭水化物=糖類、と判断して良いようです。

次に私たちが一日でどのくらいの糖分を摂取したらよいのかを調べてみました。WHO(世界保健機関)のガイドラインでは、成人及び児童の1日当たりの糖類の摂取量をエネルギー総摂取量の10%未満に減らすことを推奨しており、さらに5%(1日25g/ティースプーン6杯分)程度に抑えることができれば、より健康効果が高まる、ということです。

最後は甘いものの摂り方ですが、虫歯の観点から見れば口の中が常に甘いもので満たされている状態がもっとも虫歯になりやすいので、頻繁に飴をなめたり甘いものを飲んだりすることが一番いけないようです。少なくともお口の中で「再石灰化」(酸で傷ついた歯が唾液の働きで修復される現象、食後30分~1時間で始まる)されるまでは次の甘いものを口の中に入れない方が良さそうです。

また甘いものを食べることで起きる血糖値の上昇を抑えるインスリンの働きも体の中にある体内時計と連動しているので、食事の時間を規則正しくすることでより効果が期待できるようです。 普段の生活ではジュースをお茶に変えるなどして、お祝い事などの特別な日には美味しいケーキやお菓子をみんなで楽しくいただく。甘いものとはそんな付き合い方がベストなように思います。

写真の撮り方のポイント

卒園式や入学式、春の行楽に出かける機会も増えるこの季節、スマホやカメラを使って写真を撮る機会も増えることと思います。私自身、写真が趣味でしばらくプロの写真家に習っていた時期もあるので、その時に知って学んだことで「これは役立つ」と思うポイント、その中でも特に人物を撮ることに絞って今日は皆さんにお伝えしようと思います。

① 日の丸構図で撮ろう – 被写体を写真のど真ん中に配置して撮る写真の構図は良くない、と一般的に言われていた時期がありますが、素人はむしろ日の丸構図で撮るべきです。写真の主人公となる被写体を写真のど真ん中に置くことで、その写真から「何が撮りたかったのか?」が明確に伝わるのです。特に人物を撮影する際は自分が一番撮りたい人を構図のど真ん中に配置することで、だれが見てもその写真の主人公が明確にわかる、というわけです。カメラの機能でグリッド線を表示しておいても構図が取りやすくなるのでお勧めです。

② 明るいところで撮ろう – 最近のカメラはとても性能が良いので暗い所でもそれなりに写真が撮れるのですが、できれば写真は明るい光が十分に降り注いでいる場所で撮るのが一番です。特に人物を撮る際は光が十分にある場所で撮ると肌色がきれいに撮れます。ただしカメラの設定によっては明るすぎる場所だと「白飛び」という写真が白くなりすぎてしまう現象が起きてしまったり、日差しが強い夏場の屋外だと顔に陰影が濃く出すぎてしまう場合もあるので、そんな時はあえて日陰を選んで撮ってみたり「反逆光」を利用すると上手に撮れます。「反逆光」とは真後ろから光がくる「逆光」よりも少し光の位置が斜めにずれている状況です。

③ 水平な写真を撮ろう – 傾けた構図で撮られた写真もおしゃれだったりするのですが、意図しない写真の傾きは不安定な印象を見る人に与えてしまいます。よく近くの建物や電柱などの線に合わせて水平にしたつもりが、実際に撮れた写真を見ると傾いていることがあります。カメラを持つ人とその建物の位置の関係で必ずしもその建物の線が写真の中で垂直になるとは限らないので、あくまでも被写体が水平になっていることを意識しましょう。カメラの機能によっては水平線を表示できるものもあるので、利用するのも一つの手かもしれません。

以上、3つの点を意識するだけでも写真はぐんと良くなります。でも意識するあまりにシャッターチャンスを逃してしまうこともあるので、そのあたりはほどほどに、ということで、記念の一枚を撮ってみてください。