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徳は本なり 財は末なり|2012年9月

石井式教育の創始者石井勲先生の書。
 徳者本也 財者末也   辛未之秋  石井 勲

とくはもとなり ざいはすえなり かのとひつじ
平成3年のあき石井先生が座右の銘とされた言葉。出典は大学。その意:有徳者がいれば人も集まり士もあつまり財もあつまるものであるから、徳が本であり財産は末だとわかる。その本来を誤ると結局民を争わしめる結果となり、その末は互いに奪い合うという事態を引き起こすことになる。(参照:諸橋轍次著中国古典名言事典)

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連日三十度超の暑さの中 茨城県牛久市を尋ねました

 お目当ては左記のポスターの8月26日牛久市エスカード生涯学習センターホールで開催の仙波和音さんのピアノリサイタルでした。
 元々ピアノ音楽が好きな私(園長)ですが、日本ではまだまだ無名の仙波さんのピアノを聴くためにわざわざ片道380キロもある茨城県牛久市まで車でたずねるとは「モノ好きにも程がある」と呆れられるかもしれません。

 昭和50年代、西田敏行の歌で「もしもピアノがひけたなら」という曲がヒットしたことがあります。昭和前期生れの人にとってピアノに対する思いは、昭和後期以降の物資豊かの中で育った人々とは違った格別な響きがあるようです。

 車・自動車についても同様の事が言えます。大戦後の昭和20年代に上陸した圧倒的な米国の物量文化に日本人は度肝を抜かれ組敷かれてしまいました。しかし組敷かれながらもその口惜しさは、追いつけ追い越せの日本のその後の経済発展の大きな原動力となり、日本の車時代は予想以上に早く到来しました。昭和20年代では今のような車時代が自分の生きている間に来るとは想像できませんでした。映画等を通して米国人のクルマ生活を羨望の思いで眺めていただけに車に対する憧れは物豊かの時代に育った人達とはまた違ったものがあるのでした。

 今から6年前の2006年の秋、新潟市美術館主催のポーランド美術鑑賞ツアーに参加した時の事でした。ツアーは予定通り無事に終了、首都ワルシャワ空港でいよいよポーランドとお別れと帰りの便を待っていた時のことでした。帰路はワルシャワから隣国デンマーク・コペンハーゲン経由で成田への予定。

 ポーランドはヨーロッパでは田舎です。コペンハーゲンとの間は定員60人程度のプロペラ機で、コペンハーゲンからの折り返し便の到着を待つかたち。ところがその日はあいにく朝から深い霧がたちこめ折り返し機の着陸が出来ない。一瞬の晴れ間をねらっての着陸をと上空を旋回している。午後になると午後便も同様に上空を旋回。今か今かと待つうちにその日一日はとうとう過ぎました。翌日も同様の繰り返しで一日中待たされてしまった。十年来こんなことはなかったそうです。結局3日目の朝漸く出発する事が出来たのでした。

 空港の搭乗口待合通路で持ちこみ荷物に腰を下ろしての待ち合わせ。まる二日の間、ツアーの新潟からの同行者以外の日本人はうら若き娘さんとその母親らしき女性と連れの女性の3人だけ。自然と話を交わすうちに牛久市からと分ってから俄然話に親しみを感じたのでした。と言うのは私自身茨城県牛久市の隣の取手市に十年以上住んでいたので話ははずみました。余談ですが私の子ども達は土浦市と千葉県柏市の高校にお世話になりました。

 その若い女性がピアニストの仙波和音(かずね)さんであり母親と母親の姉のお三方でした。和音さんがイタリア・ローマ国際ピアノコンクールに出場参加のため母親と母親の姉が来られたのでした。コンクールは見事三位入賞、母親達はポーランド経由で日本に帰国の途中でした。和音さんは2004年からワルシャワ音楽院留学のためポーランドに滞在中、今回は母達の見送りに空港へ来られたのでした。

 和音さんはプログラムの経歴紹介によりますと3歳からピアノ作曲を学び、7歳でヤマハオリジナルコンサート茨城大会出場、14歳で初リサイタル。東京音楽大学付属高校2年生の時、第一回ショパン国際ピアノコンクール・アジア部門高校生の部で銀賞受賞等々。

 現在スイスのルツエルン国立音楽大学大学院のマスターコースに在籍、ポーランドやスイスでリサイタルやコンサートに協出演とのこと。 今回の牛久市での帰国公演は前回つくば市での公演から5年ぶり

 5年前のつくば市での演奏会で初めて彼女の演奏を耳にしました。達者な力強い演奏に感銘をうけました。以前からピアノ音楽が好きでしたが実際のコンサートに赴いたのは何十年ぶりのことでした。かつてはオポーリン、コルトー、ケンプ、ギレリス等々の世界の大家を大枚払って聴きに行ったこともありました。古い話です。最近はもっぱらCDかYouTubeで楽しんでおり、その耳にとっては久方ぶりの本物の音でした。

 今回の和音さんの演奏、私なりの感想を率直に述べますと以前よりも気負いが少なくなり一音一音が弾きわけられている丁寧さを強く感じ、その丁寧さにゆとりすら感じました。機会を造って新潟の人達にもぜひ聴かせてあげたいものと思っております。一層の洗練研鑽を望みます。園長として一言、子育ても大変ですけど大切な意義あることですよと。

 せっかくです、牛久市について一言ご紹介しますと、牛久市は人口約8万1千、竜ケ崎、つくば、土浦各市に隣接。 泥深いため牛が足を取られてよく溺れたからでしょうか、牛を喰う沼の牛久沼の畔に位置している。それが河童のせいと河童伝説には事欠かない。河童絵で有名な画家伊藤芋銭ウセンの存在も懐かしい。バブル期の巨大産物牛久大仏・青銅像120mの高さは世界一、ギネスブック認定。

 また明治36年完成のワイン醸造所「牛久シャトー」は牛久駅からも近く一見をお勧め。
横綱の期待が高い大関稀勢の里は同市出身。沼のウナギの味は保証付き。

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