先日、北欧の国々を訪れる機会がありました。中でも強く印象に残った出来事があります。ヘルシンキの飲食店で、小学校低学年くらいの女の子と年長くらいの男の子、そしてお母さんの三人連れと隣り合わせのテーブルになった時のことです。じっとしていられない子どもたちと、それをたしなめるお母さん。会話は英語だったので、私はてっきり英語圏から来た旅行客だと思っていました。ところがしばらくすると、今度は当たり前のように英語ではない別の言葉で会話を始めたのです。もしかするとその親子は特別な環境にいたのかもしれません。しかし旅行中ずっと感じていたのは、北欧のどの国でも、どの世代の方々も(ご年配の方でさえ)母国語とは別に自然に英語を話せる、ということでした。
特にフィンランド語は日本語同様、英語とは全く系統の異なる言語です。それにもかかわらず、英語がこれほど国民に浸透しているのはなぜか。調べてみると、フィンランドでは小学校1年から英語が必修となり、専門教員による歌やゲームを取り入れた授業や、文法指導も早い段階から行われているそうです。また映画やテレビは吹き替えではなく字幕で放送されるため、子どもたちは小さな頃から耳に英語が入りやすい環境にあります。その結果、学校教育を通して高い英語力を身につけることができるのです。ただし、かつてのフィンランドは英語を話せる人はそれほど多くなかったそうです。1980年代に英語教育に力を入れ始めて以降、国民の英語力は飛躍的に伸びたといわれています。
一方、日本の英語教育はいまだに試験の成績を重視する傾向が強く、また生真面目な国民性も相まって「正しく話さなくては」という意識が先に立ちます。そのため、実際に声に出して使う機会が少なく、学んだ知識を実生活で活かしにくい現状があります。
では、AIが発達した今、英語力は将来的に不要になるのでは?と考える方もいるかもしれません。かつてドラえもんがポケットから出してくれた「翻訳こんにゃく」も、今ではそれほど非現実的なものではなくなってきました。しかし、技術がどれだけ進んでも、人と人とが向き合って交わすコミュニケーションの中心はやはり「会話」です。そして国や文化を超えて人々が交流する際に使われる共通言語は、やはり英語であることが多いでしょう。
赤沢保育園でも2週間に一度、年中・年長の子どもたちに英語に親しんでもらうための「英語遊び」の時間を設けています。ただし、これだけで子どもが英語を話せるようになるとは思っていません。大切なのは「学ぶこと」ではなく「遊び」を通して英語に出会うことです。ケビン先生と歌やゲームを楽しみながら「日本語ではない言葉がある」「その言葉で他の国の人と通じると楽しい」という体験を重ねること。それが将来、本格的に学び始めるときの意欲や土台につながっていけばと願っています。




