赤沢保育園 スペシャル|2013年7月

 年間恒例行事の「運動会」は6月29日(土)午前9時、豊照小学校室内体育館で園児保護者の皆様のご参加をいただいて予定通り開催。

 全園児の入場行進・園児代表宣誓・赤沢保育園スペシャルエールに続いて各種競争・紅白球入れ・園児保護者の綱引き等など、最後は恒例の3歳以上園児全員のそして保護者職員による紅白リレー競走、無事にケガや事故もなく楽しく終了することが出来ました。中でもこの6月に入園したばかりの最年少園児8カ月のH.A.さん「0歳のはいはい競争」で11カ月の先輩そっちのけに少しも物おじしないでさっさとゴールインする元気ぶりにはビックリ。

 毎年劇的にレースが盛り上がる紅白リレー、目立って速い走者が勢い余ってカーブで転倒したりと今年も何度か大きな見せ場で歓声を盛り上げてくれました。遅れを取り返そうと泣き顔で必死に走る子、あきらめ顔でマイペースで頑張る子とそれぞれです。

 運動会で普段見慣れているわが子とは別の一面を発見される方も多いのではないでしょうか。親の前や家庭内では見せない外での顔がみられるのもこんな機会です。

 話は「あかざわほいくえんスペシャル・エール」のことですが、30年程前に園の歴史調査目的のため筑波大学の学生の来訪があり、その際、学生さん達から教わったとのことです。ネットでしらべると元々はドイツのビアホールが発祥とかとの説があるようですが、意味由来の定説はないようです。

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 東北地方も含めて新潟地方の今年の梅雨は現在のところ降雨量は少なく空梅雨状態。水不足のため田植えの出来ない水田も多いよう困ったことです。それでも梅雨明け予報は下旬だそうです。

 いずれにしろこれから猛暑のシーズン。中旬から4~5歳児はジャンボプール、園内での水遊びもはじまります。体調整備をお願いします。

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祝 赤沢保育園 創立百二十三回きねんび|2013年6月

 明治23年(1890)6月1日、赤沢保育園は新潟市礎町4丁目に誕生した。この機会に創立者赤澤鍾美と創立のいきさつについて少し詳しく説明をさせていただく。

 創立者赤澤鍾美(あつとみ)は戸籍によると元治元年(1864)10月16日新潟町に出生、名前は始め庄吉と称した。戸籍からは庄吉の幼少は家庭的には必ずしも恵まれてなかったことが分る。幼(?)にして他家に養子として入りその後解消している、その年月の記録がないため何歳の時かは不明。また戸籍には両親兄弟の記載がなく37歳年長の養祖母とその娘達(いとこ)と暮らしていたことが記載から判る。

 明治11年4月、鍾美は新潟町公立小学校臨時教員採用試験に合格、小学校教員として四番堀小学校に就職する。鍾美13歳の時のこと。

明治新政府発足当時の教育制度について若干説明すると:
 明治6年、義務教育制度制定、全国に小学校を設置開校を決める。しかしその実施には教場と教員の確保がまず問題となった。教場の多くは寺院を利用した。教員は養成確保のため師範学校をいち早く開設したがその卒業生が全小学校に配置されるまでの間、資格認定採用試験による臨時教員制度を設け、その試験合格者をもって教員に充てた。その受験可能年齢が旧年齢の15歳、15歳は武家時代の元服の年齢。元服(げんぷく)一人前の大人とみなした年齢、当時は生れるとすぐ1歳と数えた旧年齢の数え方。今なら十月生まれの鍾美は13歳、恐らく漢文づくめの試験問題を恵まれぬ家庭状況でよくぞ合格したものだと感想する。

 明治10年代の新潟町の小学校数は5校。そして当時から校名が変わらないのは鏡淵と豊照。鏡淵は西掘通3番町の超願寺に所在し校名は寺裏手に鏡淵という名の池がありその名に由来。

 場所と校名が明治初年から変わらないのは豊照だけ。豊照は学校所在地近くにあった豊照稲荷神社に因んだもの。当時の新潟町の範囲は信濃川左岸(海側)の白山神社下流域で人口は明治22年市制施行時で約4万人だった。

 明治10年代後半になると師範学校卒業の有資格教師が各校に配属され始まると開拓時代に苦労活躍した臨時教員は次々と整理リストラされた。明治時代は現在よりも遥かに厳しかった。明治19年豊照小学校に勤務の鍾美は東厩島町(現保育園東湊町から西南方約300m程の地点)に住居した。

 明治23年、リストラの嵐がまともに鍾美を襲った。それまで月額9円~5円程だった給与が一挙に僅か27銭に減額された。当時の臨時教員は毎年一年契約今話題の契約社員だった。そこで鍾美は退職し小中学校課程の塾・静修学校を創立し依頼を受けて幼児保育も始めた…、がこれまでの定説だった。近年、新潟大元教授F氏の在職中の調査で鍾美の教員の在籍は明治26年まで鏡渕校所属だった記録を発見。同時に給料が前述のように激減したことも判った。明治20年当時の物価は米一俵(60㎏)約2円。調査されたF元教授は鍾美の学校開校は26年以降ではないかと仮説を唱えた。それも一理あるが給与が日当額程度に減額されたことは非常勤の予備軍に配置されたと容易に想定できる。それだけでは生活不可能である。

 学校物事の開始は4月が常識だ。創立記念日が6月であることにはそれなりの理由があった。いつかはリストラと予想して開塾を念頭に在職中からせっせと自宅指導の生徒を取っていたことが容易に想像される。そして4月開校を目指していた。

 昭和9年刊行の新潟市編纂の「新潟市史」によると、明治23年4月3日鍾美住居隣町の住吉町から出火、全焼戸数270戸の大火となり鍾美宅も焼失、4月開校は不可能となった。鍾美の教え子達の開校を願う熱意から隣町の礎町4丁目に教場を兼ねる居宅を得て6月開校となった。

 当時の小学校入学事情は現在とは大幅に異なる。まず義務教育といっても有料で、これは大正10年(1921)まで続いた。明治期の一般庶民の暮らしは今では想像出来ないほど貧しくその日暮らし家庭が多かった。貧乏人の子沢山、多くの家庭が子どもといえども6~8歳から食費倹約口減らしのため他家に下働きや雑事手伝いとして出した。小学校入学は庶民にとっては夢のまた夢、明治初期の小学校入学率は2割程度だった。

 礎町に開校した学校を「静修(せいしゅう)学校」と命名した。子守りしている生徒の赤ん坊を預り世話をした。その保育は鍾美の養祖母と従姉達が当った。そんな経営努力もあって静修学校は繁盛し手狭となり明治26年本町7番町に発展移転した。同年臨時教員籍も完全に離れた鍾美はそれまでの庄吉という名前を鍾美に改め戸籍に登記した。鍾は集めると同義、美は将来ある若者という意味もある。

 本町移転後の静修学校はさらに人気が高まり本町校舎も程なく手狭となった。そこで在学生や卒業生その他有志が協力して資金を集め、明治36年、保育室を含む校舎を東湊町に建設、鍾美に贈った。現在地より50m程西の位置。

 感激した鍾美はそれまで付属業務としてとらえていた保育業務に対して「守孤扶独幼稚児保議会・しゅこふどくようちじほごかい」と命名して本格的に取り組む決意をこめた。現在の保育園の法人名である。その意味は、保育に孤(めぐまれない)の子ども、独は独り親の幼稚児を保護する会と命名した。養祖母に育てられ恵まれなかった鍾美自身の幼少時の思いをこめたものと推定される。後年昭和23年児童福祉法の保育所の定義に通ずる点が多く、その後の研究者の注目を集めた。

 大正8年7月、またまた東湊町1に87戸焼失の大火発生、赤沢校舎も被災した。しかし再び卒在校園生が資金を集めて現在地に建築し鍾美に贈ったのでした。

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遠足 スナップ あれこれ

 例年遠足の日取りは5月の第3~4週頃。今年はバス確保の都合で連休明け早々の10日実施。そのせいかいつも他の何園かと鉢合わせで混雑する亀田公園、今回は赤沢だけの貸し切り状態。天候にも恵まれ楽しく終了することができました。

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新緑の美しい季節になりました|2013年5月

 タケノコや蕗、山菜の美味しい時季になりました。タケノコ(筍)の漢字は竹かんむりに旬(じゅん)と書きます。小さなタケノコが十日程で立派な竹になるからでしょうか。

 緑濃いこの季節になるとしゃきしゃきとした歯触りのウコギの新葉の品のよい独特な香りのお浸しを懐かしく思い出します。

 ウコギ(五加木)といってもご存知の方は少ないと思いますが、山形県米沢市・置賜地方では家々の生け垣として普通に植えられている丈の低い木です。先々代園長が庭に植えてその新葉の味を楽しんだのでしたが、あまり好まなかった先代園長になったらその木は消えてしまって今はない。

 ウコギは漢方薬として中国渡来のウコギ科の植物ですが、米沢地方に多くあるのは上杉藩の知将・直江兼続が栽培を奨励したのが始まりです。

 米沢藩は上杉家が会津120万石から関ヶ原の合戦以後米沢15万石に格下げされたが、その際、家臣を一人もリストラしないでひたすら倹約財政に努め、その一策として食糧にもなるウコギの植樹を奨励した。

 上品な食感の高級食材としてウコギの新芽・葉はタケノコなどとの切り合いやおひたしをはじめ天ぷらなど、様々な料理法があります。

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 赤沢では園児に石井式漢字絵本の読み聞かせを実施しております。東京渋谷区の石井式本社に寄せられたお手紙をご紹介します。(原文のまま)

 現在息子は6歳、小学校に通っています。 私達は息子が私のお腹の中にいるときに夫の仕事の都合でアメリカに赴任することになり、その為、息子はアメリカで生まれました。以来ずっとここ、アメリカ東海岸に住んでいます。

 州政府からの決まりで、年に2回全小学校一斉テストがあるのですが、何と息子の査定結果が99%だったのです。「これは99点という意味ではなくて、テストを受けた全員の中の上位1%に位置していると言う意味です。」と言う事を担任の先生と面談をしたときに言われて驚きました「うちの子すごい!天才っ!?」と思ってしまいました。(親ばかですね。笑)

 また、クラスのリーディング(読み)の時間にも、レベルごとに分かれて読んでいるそうなんですが、息子のグループは一番上でレベルも1つ上の学年の学習教材を既に使用しているそうです。英語なのに、我が息子ながらすごいなと思わずにはいられませんでした。

 家では英語の本と、日本語の本をほぼ毎日読んでいます。きっとこの読み聞かせが良かったのだなと思いました。  思い起こせば初めて読み聞かせをしたのが石井式の「みーちゃんどこ?」でした。息子が1歳半のときです。あの頃は本を読もうとしても、本を投げたり、叩いたり、破いたりして、なかなか読み始める事が出来ませんでした。でも、今では本大好きです。感慨深いものがありますね。 石井式では毎日10分取り組むことを目標にしていましたが、全然出来ていないときもありました。それでも、月一回の通信教育の先生とのミーティングでなんとか取り繕って、また新たに一ヶ月間、新しい本で読み始める。決して真面目にキチンとやってきたわけではありません。が、何年も続けた事のほうが大きい成果として現れたようですね。今まで支えてくださった通信教育の先生には感謝です。そもそもどうして幼児に漢字教育を始めようと思ったのかには私なりの体験があったからです。

 私の知り合いで子供のときに海外生活をしていた同僚をこの目で何人も見てきましたが、現地の日本人学校に通っていたにも関わらず、日本語を話したり、読んだりすることが苦手だったり、書くのにも四苦八苦していました。でも、皆さん素敵な社会人で仕事もとても良く出来るんですけれどね‥‥。「日本語は頭の善し悪しに関わらず、日本人学校に行った行かないに関わらず、自身で身につけないといけないものなのだな。」と思ったものです。日本人学校に通っていても10歳を境に通わなくなったり、日本語の勉強を止めてしまう人もいると言う事を、息子が生まれてから聞きました。理由は現地、英語での勉強も大変になってくる時期であり、子供への負担が増えたからです。  このような理由から、息子が生まれてから、幼児からでも漢字が学べる、もしくは何か日本語を学べる方法はないかと考え始めていました。すると夫が、石井式のことを教えてくれたんです。以来4年半、ほそぼそと続けてきました。今までの石井式の漢字絵本と漢字カード、CDをこれからも使ってなんとか10歳までは、復習を続けて行きたいと思っています。

 太陽系が大好きな息子は将来は天文学学者になりたいそうです。夢を叶えられるよう、私も少しでも協力出来たらと思っています。

 2013年4月  岡口 真咲美  アメリカ東海岸デラウェア州在住

 (岡口さんは東京八王子市ご出身。将来米国に永住予定だそうで、子どもに本物の日本語をと石井式を選ばれたのです。)

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園庭の梅がようやく咲き始めました|2013年4月

 この冬の初めは暖冬予想でしたが県全体ではどうだったんでしょうか。新潟市の降雪量は前年と比較すると確実に少雪でした。除雪を例にとると、今冬は園舎前や駐車場の除雪はほとんどやることなしに春になりました。 しかし長岡や魚沼地方の降雪は明らかに数年来の豪雪で浦佐や湯沢辺りの2月頃の車窓風景は近来にない雪景色でした。越後三山の山なみの青みを帯びた輝きは雪深さを教えてくれます。

 しかし、最近の新潟の気温の低さはどうでしょう。文部省唱歌「早春賦」の”春は名のみの 風の寒さよ‥” を口ずさみたくなります。東京方面では桜の花も散り出しているのに‥。例年3月中旬には開花する園庭の梅もようやくほころびはじめました。鹿児島・熊本産のタケノコが市場に並び始めました。

 寒暖の差の大きい今の季節、消化器官の不調(吐きもどしや下痢)や微熱をともなったカゼようの疾患がはやっております。新学期を控えての今の時期、体調にはくれぐれもご注意ください。

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平成25年度入園式(今後の入園について)

 新年度の入園式は4月6日(土)実施を予定しております。

 本年度の入園式参加は15名の予定。例年入園式の参加は当年の4月入園児の他に前年の4月以降今年の3月までに途中入園された方にも参加していただいております。新年度の園児数は定員に対して15%増の状態で出発いたします。これは園にとっては大変ありがたいことなのですが、設備や保育士能力もあり今後の入園受け入れがあと僅かしか出来ないという問題が生じます。近年の中途入園数は大体10名前後ですが現状ではあと数名しか受け入れることができません。

 ご承知のように中央区の下町地域は、住人減少の影響で小・中学校の統合問題が進んでおります。 しかし、中央区の特に新潟島地域の保育園事情は市の待機児童ゼロ目標とは別に実情は厳しい状況にあることをご承知下さい。勝手なお話で恐縮ですが入園に関しては出来るだけ早めにご相談下さるようお願いします。

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平成24年度第122回卒園式

 3月23日(土)、平成24年度第122回卒園式を無事に予定通り終了致しました。

 卒園児数は男子7名女子6名の計13名。卒園児の内訳は、在園期間が最も長かったO.Mさんが6年5月。短い人で3年丁度の方が4名。平均在期間は4年4月となります。

 小学校が6年、中学高校が各3年、大学で4年の期間と比較すると保育園での4年4月の在園期間の長さは結構な期間になります。が、卒園後保育園生活の細かい事はどこまで記憶しているでしょうか。各年齢組当時の写真を並べてみました。

 卒園の皆さんに将来の希望・職業を尋ねてみますと:

学校の先生・看護師・保育士がいずれも女子で各1名、ケーキ屋・お菓子屋・スイーツ屋・コーヒー屋さんが男女合わせて5名、野球・サッカー選手が何れも男子で4名、変わったところで仮面ライダーが1名でした。

 以前よく目にした新幹線の運転手や警官・消防士などは見当たりませんでした。

 元気で明るい一年生になって下さい。
そして時々元気な姿を見せて下さい。まってますよ!

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什の掟(じゅうのおきて)|2013年2月

 昨年末、はからずも隣県福島県会津若松市を訪れました。
 会津若松市は隣県でもあり新潟市民にっとって親しい思いが少なからずあります。新潟市の小学校が修学旅行で訪れる他県都市としては会津若松市が圧倒的に多い。また会津若松市の小学校も同様に修学旅行先として新潟市を親しく選定されているようです。
 今年のNHK大河ドラマが会津若松市と縁のある話で驚きました。

 実はかねがね会津若松市というよりも旧会津藩時代の教育事情を一度話題にして皆さんと考えたいと思っておりました。
 会津地方はご存知の越後の上杉氏が治めたこともあったが徳川時代となってからは徳川二代将軍秀忠の子、保科正之ほしなまさゆきが藩主となり徳川御三家尾張・紀州・水戸家に次ぐ№4とも擬せられる格式ある名門。

 三代将軍徳川家光の異母弟にあたる会津藩祖保科正之は、母親が秀忠の正室でなかったため幼少時は不遇で信濃高遠三万石の小藩保科家の養子となった。保科家は将軍の息子正之に惜しみなく帝王学を学ばせた。その不遇時代の勉学が正之の人柄を大きく育てた。長じて兄三代将軍家光に仕えると正之の謙虚な人柄・優れた学識才能に家光はすっかり感銘し正之を補佐役として重用し会津藩主に任じ、ついには四代将軍家綱の後見を托した。

 家光・家綱と二代の将軍の補佐役を務めながら会津藩主となった保科正之は会津藩の治世に関しても数々の優れた業績基礎を築いた。中でも教育を重視奨励し後年上級藩士の子弟に必ず入学を義務付けた藩校制度(日新館)の基礎を築いた。

 会津藩士の子弟は十歳になると藩校日新館に入学、授業は朝8時から始まり文字通り文武両道に励んだ。生徒数は1000人以上を数えたようだ。戊辰戦争で会津若松城落城とともに自刃した有名な白虎隊の少年戦士達も当然日新館出身だ。

 日新館に入学する前の六歳から九歳までの子ども達は大体10人程がまとまって什(じゅう)と呼ぶグループとなり、寺子屋や什の家庭などでそれぞれ遊びや学習をした。その什にはその決まりとして「什の掟」があった。それが冒頭の「什の掟」である。「什の掟」は什がいくつもあったので必ずしも同じではなかったようで、とくに最後の婦人と会話に関しては規定しない什もあったようだ。(cf:日新館HP)

 最後の結語の「ならぬものはならぬものです」が明快である。一見頑固で乱暴な押さえつける表現に響くがわかりやすい。今学校での体罰問題が大きな関心を集めている。体罰ではなく指導であり愛の鞭であると言い訳してこれまで見過してきた。教育とは賢く生きる方法を教える場所である、その教育のやり方が死に結びつくとはとんでもないことであり、まさにあっては「ならぬこと」 だ。

 幼少時は基本的な物事の善悪の区別を理屈抜きにしっかりと教え伝え憶えねばならない時期だ。それを確実に教えることが親の務めであり大人としての義務・役割りである。動物の世界で例をとると、親はまず危険と安全を必死にわが子に教える。何が食べられるか食べられないかを徹底的に教える。一旦間違えたら死に至るのだ。また他の襲撃を避け生延びるための必死の学習である。そこで屁理屈や疑問のやり取りが入り込む余地はない。ならぬことはならぬのだ。  自由にものが言える現在はとにかく情報が多すぎて事の本質が見え難くなっている。特にネット上では姿が直接他に目立たないためその傾向が強く無責任な回答や対応が幅をきかせている。

 著書「国家の品格」 で数年前一世の話題注目を集めた藤原正彦氏もこの「什の掟」に言及し、最後の婦人との会話の章を除けば現在でも重要な教えであると評価されている。

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 上記はご存知「小倉百人一首」の中の一首。
 かるたと言えばやはり百人一首ですね。石井式新潟県大会では俳句・諺だけにしておりますが、石井式大会では百人一首も正式種目に入っているのです。新潟県大会では気軽に出来るだけ多くの人に参加していただきたくてあえて諺・俳句の二種目にしぼっております。
 ご承知のように今回は全国大会が開催できませんでした。東京地区一帯の参加園のご意見やお考えなど何かと足並みがそろわなくて残念な状態の結果です。来年は何とかまとめてぜひ開催をと心掛けております。
 来年の県大会は1月11日(土)会場は本年同様ユニゾンプラザで手配し、全国大会は1月26日(土)にこれまで同様のスカイツリー間近かの墨田区区民会館を確保致しております。
 実は先週末、東京・神奈川・山梨の三地域の数園の石井式大会が川崎市内の幼稚園で開催があり、それを観戦してまいりました。俳句・諺部門に関しては新潟県はなんら遜色ありませんが、百人一首部門があり、じっくりと観戦してまいりました。そして詠みあげられる百人一首の数々を耳にして改めて日本語の美しさ素晴らしさにつくづくと聴き惚れてしまいました。

 表や写真は去る1月13日開催の第13回漢字かるた新潟県大会の参加状況や各園の入賞状況や結果です。なお入賞者の実名は省略させていただきましたがご了承ください。
 三条市の保育園は人数も「かるた」に対する熱意も赤沢保育園よりも圧倒的に高いため残念ながらそれがはっきり成績に反映致しました。

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新年明けましておめでとうございます|2013年1月

 2012年は保育園にとっては大きな問題もなく、25日に新潟大生のサンタクロースを迎えて年末最後の行事クリスマスを楽しく終わることができました。

 右の写真下は新大生サンタさんを囲んでのひよこ組さんです。

 サンタ役の一人が何とポップダンスのロボットダンスを演じてくれました。身体の動きをロボットのようにカキンカキンとぎくしゃくした動きで首や手足を動かします。タダそれだけですが、何とも言えない楽しい動きに子ども達や職員達もそのパフォーマンス、大いに楽しませてもらいました。

 寒さに向かってます。その後感染性胃腸炎やインフル等の目だったブレーク発生流行はありませんがこれからがシーズンです。十分に気を付けて発生防止に努められることをくれぐれもお願い致します。

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 保育園の玄関と遊戯室との出入口扉の上の空間を利用して可愛い人形を多数組合せて(妖精のくにのたより・はる・なつ・あき・ふゆ)と題した人形飾りにお気付きかと思います。

 人形の製作者の阿部伸江さん、元々埼玉県川越市出身で東京を本拠とした人形劇団にかつて所属されたご経歴、山村生活に憧れて結婚を機に会津の金山町に古家を購入されご一家で移住されました。

 金山(かねやま)町は会津の虚空蔵(こくぞう)さまで知られる柳津(やないづ)町のさらに奥の阿賀川上流の只見川沿いに位置している。会津若松市から30キロ以上はあるのではないでしょうか。

 都会人が田舎生活に憧れて古家を購入して移住生活する、話として耳にしても実際の人にお会いしたのは阿部さんが初めて、正直大いに関心を感じました。

 町の同好者とともに人形劇団を編成、縁あって赤沢保育園で13年前に公演していただいた。その後、飾り棚の人形制作をお願いしたのが2001年のこと。

 このたび、会津若松市鶴ヶ城近くのギャラリーで個展と人形制作教室を12月に一週間の予定で開催のお知らせをいただき、会津への訪問となりました。

 教室ではお一人習っておられました。2時間程で可愛い作品を仕上げることが出来、喜びの声を上げながら嬉しそうに帰って行かれました。

 実はその辺のところが訪問動機の一つで、機会をみて阿部さんをお招きして教養活動の一環として園の保護者や職員達の研修にどうかと考えております。

 阿部さんのお住まいの金山町には450m程の山の頂に火山湖沼沢湖がありその湖畔に妖精美術館(冬期休館)があり、夏は湖水浴・マス釣り・オートキャンプ場、冬季はスキー場等が楽しめます。

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11月は縄跳び、12月はかるた大会

 縄跳びは身体の動きとバランス感覚の発達を促進させる絶好の運動。園では三歳児から始めますが、三歳児にとって手の動きに合わせて縄を飛び越えることは大変なこと。一年目は正にきっかけ作り。四歳児は前年の体験から何とか跳ぶコツを覚えます。五歳児は大体跳べるようになる。とにかく身体が覚えるためには体験と練習を重ねることです。かるた取りは記憶と認識に身体の運動反射が加わります。

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違いがわかる人を心掛けましょう|2012年12月

 商店街やデパートははや歳末セール・クリスマスセールに入り それに衆議院選挙も加わり、この12月は随分と賑やかになりそうです。

 今年もあと一ヶ月を残すだけとなりました。一年を振り返ってみてやりたかった事やれなかった事などなど、期間の残りが少なくなると今更積み残しが気になるものですが皆様はいかがでしょうか。年の始めに今年こそはと頭に画いたことがどれだけやることが出来たかと考える、そんな反省の気分に年末はなります。

 少し気の早い話かもしれませんが来年の皆様方の一年の目標の参考の一つにと次のような提案を考えました。

 某有名飲料会社のTVコマーシャルに「違いがわかる人」と言うフレーズで自社商品の宣伝をしていることを耳にされた事がおありかと思います。味の違いがわかる人はきっとその会社の製品の良さに気付いてそれを選ぶ筈だと、客のプライドに働きかける味のある言葉遣いです。しかもそのコマーシャルの文言が高倉健や松たか子のような人の口から出るとまた効果的です。

 園児の体調・気分・成長進度・気質・家庭環境等々一人一人日ごとに異なります。特に体調や気分は一日一日どころか時々刻々変化します。

 園として保育士達に常日頃強調し望んでいることは、実は「違いがわかる人」になることを心掛けてもらいたい事です。成長期の変化の大きい子ども達の日々の違いを理解することは大変なことです。こればかりは座学(机に座って学ぶ=教室学習)では出来ません。実際を通してそれも年期が必要です。目まぐるしく変化する子どもたちをより正しく理解するためには座学で学んだ正しい基礎知識に実際の経験、先輩の指導にさらに違いを常に意識する態度が必要です。その積み重ねで熟達することが優れた保育者につながる道と考えております。

 保護者の皆様も「違いがわかる人」を心掛けてみませんか。

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ス・AKAZAWA号 赤沢保育園全員集合!!

作品展の全員参加の作品として昨年は古切手を全員で貼り合せた大きな富士山を作りました。

 今回はご覧のような背景の全員乗車のバス「AKAZAWA号」を作りました。

 バスの車体側面に園児は自分の顔を描いた絵を貼り、こあら・ひよこ組さんはまだ描けないので顔写真を貼りました。運転手は園長で添乗員は保育士達。

 全員集合といっても撮影当日休んだ人は写っておりません。多数の園児達は少しもジッとしてくれません。せっかくの瞬間に顔が見えない人が何人かおります。給食担当職員は調理中のため、またシャッターを押した職員は当然写っておりません。さあー、誰でしょうか?

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11月10日(土) バザー・作品展|2012年11月

 園児達は今作品展準備に大いそがし。どんな作品になるのか今からお楽しみです。

 昨年の「赤沢」の作品展の様子は、保育用品業大手の「チャイルドブック社」のご注目をいただき、同社の幼稚園保育園向け月刊誌「ポット」今年10月号に掲載紹介されました。下の同誌をご覧ください。

 バザーでは恒例の食品売りや皆様持寄りの逸品セールもあります。どうぞ多数のご参加で楽しく盛り上げましょう。

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NCVテレビ局(有線or地上Dの11チャンネル)より10月16日(火)の「英語遊び」の時間その他の保育の取材を受け、その放映は11月1日~15日の毎日3回 (7:30,11:30,19:30から) 各30分間 ずつ放映の予定。

 新潟ご当地お笑い集団「ナマラ」をご存知でしょうか。その「なまら」のメンバーの一人金子ボボさんという保育士経験のある方がおられます。NCV局はその金子ボボさんをレポーターにして新潟市内の保育園を各所訪問取材して番組にしている。

 番組は5歳児ぞう組[「英語遊び」でイギリス・スペイン二国籍を持つマルコ先生のレッスン、ボボさんも園児と一緒に参加、その後、ボボさん中心の進行となります。

 ところで、NCV局番組はケーブルテレビのためそれに加入してないと視聴できません。赤沢保育園の地域一帯はテレビ受信障害地域のため:共聴アンテナで受信しており,その電波の中にNCVが入っておりますので視聴可能です。また、NCV局より放映と同じDVDを頂けることになっておりますので、11月10日のバザー会場で繰返し視聴再生する予定です。その際ぜひご覧ください。

 収録後、取材スタッフの方々に園児達の印象を伺ったところ、まず上手にあいさつが出来ること、子どもらしさがはっきりしており、言葉遣いや態度が礼儀正しいのには感心されたとのこと、外交辞令としても100%の嘘はないだろうと嬉しい言葉をいただきました。

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いも掘り遠足

 10月5日(金)好天にめぐまれ無事に楽しく終わる事ができました。21年間好天連続ヒット、真に有り難いことです。

 イモ畑の周辺一帯はまさに見渡す限り広々とした大地という言葉がぴったりの環境。畑わきの東北側の高台は高速道路磐越自動車道、そこを走る自動車やエンジン音も広大な環境では少しも気になりません。保育園周辺とはおお違いです。

 いもの味はいかがでしたか。皆さん自ら子どもさんと一緒に固い土の中からいもを傷めないように気使いながら掘りだしただけに、周りの虫などの思い出などとともにまた違った楽しい味だったことでしょう。

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秋分を過ぎるとそれまでの暑さが嘘のように|2012年10月

秋分を過ぎるとそれまでの暑さが嘘のように和らぎました。「暑さ寒さも彼岸まで」が文字通り今年も実感する気候の変りようです。

 しかし、今年の長かった残暑の厳しい暑さには例年にない気温の高さを感じ閉口しました。地球の温暖化が取りさたされておりますが、今年のような厳しい残暑が続くと地球気候の異常がどこまで拡大するのかと不安になります。

 北極海の 今年9月中旬の海氷面積が349万㎢を記録し2007年9月の425万㎢と比較して日本の国土面積の約2倍の広さが縮小しているとの報道を目にします。日本国土の2倍の面積の減少と言う事の意味が地球全体との関係とどうなっているのか、それだけの減少が地球規模で考えた場合大きな問題になるのかどうかが気になります。温暖化の影響でホッキョクグマやアザラシ等の海獣類の生息範囲が大幅に狭まり絶滅の可能性も否定できない等の話も耳にします。(※ 1㎢=1000㍍x1000㍍)

 北極海海氷面積の最大は例年3月初め頃で、その面積はおおよそに1450万㎢でその広さは各国の面積と比較すると世界一位のロシアが1709万㎢、2位カナダが998万㎢、3位中国964万㎢、4位北米963k㎡、5位ブラジル851万㎢、6位オーストラリア769万㎢、7位インド328万㎢と続く。日本の面積は62位37.8万㎢、韓国は109位で9.9万㎢となります。

 因みに地球全体の表面積は約5.1億㎢、その内の陸地面積は約29.1%でおおよそ1.5億㎢。日本の国土面積は地球全体の何分の1になるのでしょう‥? たまにはそんな計算をされてみては。

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 8月末行事ですが「お買物ごっこ」、ぞう組さんが売り手役、他の組が買い手でバッチリ買い物気分を楽しむ。

 9月5日、新潟市の係員による交通安全指導、交通ルールのお勉強。

 20日「県立自然科学館」訪問。立体映像館では1億5千万年前の白亜紀・恐竜時代のリアルな世界を体験。

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いも掘り遠足当日悪天候の場合

 : 20年間続いているいも掘り遠足ですが、これまで一回も雨降りにあっておりません。天候が変わりやすいこの時期としてはまさに好運続きなことです。それだけに雨降りになる確率は小さくありません。運悪くその場合には次のような予定でおります。

①行く先は西区黒埼の「ふるさと村」に。(土砂降りの場合は中止もあり)

②変更の場合、翌週土曜日13日にいもの回収を予定しております。この場合、園職員だけではできませんので保護者有志の皆さんのマイカーでのご協力をぜひお願いします。

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徳は本なり 財は末なり|2012年9月

石井式教育の創始者石井勲先生の書。
 徳者本也 財者末也   辛未之秋  石井 勲

とくはもとなり ざいはすえなり かのとひつじ
平成3年のあき石井先生が座右の銘とされた言葉。出典は大学。その意:有徳者がいれば人も集まり士もあつまり財もあつまるものであるから、徳が本であり財産は末だとわかる。その本来を誤ると結局民を争わしめる結果となり、その末は互いに奪い合うという事態を引き起こすことになる。(参照:諸橋轍次著中国古典名言事典)

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連日三十度超の暑さの中 茨城県牛久市を尋ねました

 お目当ては左記のポスターの8月26日牛久市エスカード生涯学習センターホールで開催の仙波和音さんのピアノリサイタルでした。
 元々ピアノ音楽が好きな私(園長)ですが、日本ではまだまだ無名の仙波さんのピアノを聴くためにわざわざ片道380キロもある茨城県牛久市まで車でたずねるとは「モノ好きにも程がある」と呆れられるかもしれません。

 昭和50年代、西田敏行の歌で「もしもピアノがひけたなら」という曲がヒットしたことがあります。昭和前期生れの人にとってピアノに対する思いは、昭和後期以降の物資豊かの中で育った人々とは違った格別な響きがあるようです。

 車・自動車についても同様の事が言えます。大戦後の昭和20年代に上陸した圧倒的な米国の物量文化に日本人は度肝を抜かれ組敷かれてしまいました。しかし組敷かれながらもその口惜しさは、追いつけ追い越せの日本のその後の経済発展の大きな原動力となり、日本の車時代は予想以上に早く到来しました。昭和20年代では今のような車時代が自分の生きている間に来るとは想像できませんでした。映画等を通して米国人のクルマ生活を羨望の思いで眺めていただけに車に対する憧れは物豊かの時代に育った人達とはまた違ったものがあるのでした。

 今から6年前の2006年の秋、新潟市美術館主催のポーランド美術鑑賞ツアーに参加した時の事でした。ツアーは予定通り無事に終了、首都ワルシャワ空港でいよいよポーランドとお別れと帰りの便を待っていた時のことでした。帰路はワルシャワから隣国デンマーク・コペンハーゲン経由で成田への予定。

 ポーランドはヨーロッパでは田舎です。コペンハーゲンとの間は定員60人程度のプロペラ機で、コペンハーゲンからの折り返し便の到着を待つかたち。ところがその日はあいにく朝から深い霧がたちこめ折り返し機の着陸が出来ない。一瞬の晴れ間をねらっての着陸をと上空を旋回している。午後になると午後便も同様に上空を旋回。今か今かと待つうちにその日一日はとうとう過ぎました。翌日も同様の繰り返しで一日中待たされてしまった。十年来こんなことはなかったそうです。結局3日目の朝漸く出発する事が出来たのでした。

 空港の搭乗口待合通路で持ちこみ荷物に腰を下ろしての待ち合わせ。まる二日の間、ツアーの新潟からの同行者以外の日本人はうら若き娘さんとその母親らしき女性と連れの女性の3人だけ。自然と話を交わすうちに牛久市からと分ってから俄然話に親しみを感じたのでした。と言うのは私自身茨城県牛久市の隣の取手市に十年以上住んでいたので話ははずみました。余談ですが私の子ども達は土浦市と千葉県柏市の高校にお世話になりました。

 その若い女性がピアニストの仙波和音(かずね)さんであり母親と母親の姉のお三方でした。和音さんがイタリア・ローマ国際ピアノコンクールに出場参加のため母親と母親の姉が来られたのでした。コンクールは見事三位入賞、母親達はポーランド経由で日本に帰国の途中でした。和音さんは2004年からワルシャワ音楽院留学のためポーランドに滞在中、今回は母達の見送りに空港へ来られたのでした。

 和音さんはプログラムの経歴紹介によりますと3歳からピアノ作曲を学び、7歳でヤマハオリジナルコンサート茨城大会出場、14歳で初リサイタル。東京音楽大学付属高校2年生の時、第一回ショパン国際ピアノコンクール・アジア部門高校生の部で銀賞受賞等々。

 現在スイスのルツエルン国立音楽大学大学院のマスターコースに在籍、ポーランドやスイスでリサイタルやコンサートに協出演とのこと。 今回の牛久市での帰国公演は前回つくば市での公演から5年ぶり

 5年前のつくば市での演奏会で初めて彼女の演奏を耳にしました。達者な力強い演奏に感銘をうけました。以前からピアノ音楽が好きでしたが実際のコンサートに赴いたのは何十年ぶりのことでした。かつてはオポーリン、コルトー、ケンプ、ギレリス等々の世界の大家を大枚払って聴きに行ったこともありました。古い話です。最近はもっぱらCDかYouTubeで楽しんでおり、その耳にとっては久方ぶりの本物の音でした。

 今回の和音さんの演奏、私なりの感想を率直に述べますと以前よりも気負いが少なくなり一音一音が弾きわけられている丁寧さを強く感じ、その丁寧さにゆとりすら感じました。機会を造って新潟の人達にもぜひ聴かせてあげたいものと思っております。一層の洗練研鑽を望みます。園長として一言、子育ても大変ですけど大切な意義あることですよと。

 せっかくです、牛久市について一言ご紹介しますと、牛久市は人口約8万1千、竜ケ崎、つくば、土浦各市に隣接。 泥深いため牛が足を取られてよく溺れたからでしょうか、牛を喰う沼の牛久沼の畔に位置している。それが河童のせいと河童伝説には事欠かない。河童絵で有名な画家伊藤芋銭ウセンの存在も懐かしい。バブル期の巨大産物牛久大仏・青銅像120mの高さは世界一、ギネスブック認定。

 また明治36年完成のワイン醸造所「牛久シャトー」は牛久駅からも近く一見をお勧め。
横綱の期待が高い大関稀勢の里は同市出身。沼のウナギの味は保証付き。

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